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山月記のあらすじと感想をご紹介します。短いあらすじを知って興味を持ったらぜひ、書籍をお読みください。
サクッと内容の把握ができるので、読んだことがない人でもすぐ語れるようになります。会話の話題づくりや高校生のテスト対策にもぜひお役立てください。
山月記のあらすじ①
隴西の李徴(りちょう)は将来を嘱望され、科挙の試験にも合格し、進士にも名を連ねていた。ただ、自分の才能に自惚れるところがあった。低い身分の役人から始めて立身していくのが常なのに、職を辞して人との交わりを断ち、山に籠もって詩を作っていた。
当時の中国、博学の士には詩を作る才能も含まれていた。山に籠もったのは、人に頭を下げるくらいなら、試作で名を100年の後にも残るようにしたいという願望からであった。しかし、名は上がらず、地道にやってきた他の秀才達は出世していく。
衣食に不自由をするようになって、ふたたび低い役職を得るが、耐えられずに辞めてしまった。一年後如水のほとりで発狂し、訳の分からないことを叫びながら闇に消えていって、二度と戻らなかった。
栄達の道を歩んだ李徴の同僚に袁傪(えんさん)という者がいて、朝廷の命令で役目のために商於の地にやってきた。朝まだ暗いうちに宿から出発した。宿のものに、「白昼であれば安心だが、人食い虎が出るから、暗いうちは止しなさい」と言われるが、共の人数が多いからということで、そのまま出発した。
草むらから虎が一匹現れた。袁傪に襲いかかろうとするが、身を翻して草むらに返ってしまった。草むらから「危ない、危ない」という声が聞こえたが、袁傪には聞き覚えのある声だった。
李徴であるか、と袁傪が聞くと、虎はそうであると答えた。袁傪は温厚な性格から、李徴と衝突しない友人であった。「どうして姿を現さないのか」と袁傪が問うと、「それは君が恐れ、厭うからだ」と答えた。
しばらくは、懐かしい李徴と話しているつもりで、このまま話してほしいという李徴の願いを聞き入れた。都の噂、旧友達の話などをしているうちに、二人はかつてのような関係に戻った。どうしてこうなったのだ、袁傪が問うと答えた。
一年前の如水で寝ていると名前を呼ばれ、闇に向かって走って行くといつのまにか虎になっていた。理由も分からず押しつけられたものを受け取るのが、生き物のさだめだ。自分はすぐに死のうと思ったが、気付くと兎を加えていた。兎を見た途端に、自分の中の人間が消えてしまったのだ。
1日のうち数時間は人間の心が帰り、経書をそらんじたり、言葉も操れる。しかし、だんだん人間の心を持つ時間が少なくなっている。自分が虎になりきってしまう前に願いがある、ということを李徴は語った。それは、詩を残したいということだった。
袁傪はその詩を部下に書き取らせた。袁傪はその詩を聞きつつ、「どこか欠けている」と感じていた。即興で詩を作った後、李徴は言う。理由について思うところがないわけではない。郷里の鬼才と言われていた自分の中の臆病な自尊心が人から遠ざけ、雌雄と切磋琢磨することも避け、人から倨傲だ、尊大だと言われる結果となった。
人々にはわからないだろうが、自分が一流ではない、ということが露見するのを恐れていた。こんなときにも妻と子よりも、自分のことを考えている。だからこうなったのだ。自分のことは死んだと家族に伝えてくれ、また家族が路頭に迷わないようにしてくれ、と李徴は告げた。袁傪が引き受けると、元の草むらへと戻っていった。
山月記のあらすじ②
李徴という人物は、秀才であるが今の役人という職業に満足できず、詩人として生きていくことを望みますが、詩人の世界は厳しくあえなく失敗。すると保守的な考えが働き、再度役人という仕事に復職するが、今度は、周りの人物たち皆が自分よりも上の立場におり、自己が持つプライドと羞恥心において虎に変貌を遂げた李徴。
次の年、李徴の旧友で監察御史という中国の昔のお役人になった袁傪は、旅の途中でトラに襲われてしまいます。するとトラは人の声で危ないところだった、声で話すではないでしょうか。そうです、トラは袁傪の友である李徴だったのです。
しばらくすると李徴とは草むらに隠れたまま、友である袁傪に自分がなぜ虎になったのかという経緯を語るのです。その後李徴は、自分の妻子に先に自分という存在が死んだのを伝えること、妻子が困らないよう生活を助けてほしいと願い、そのことを先に袁傪に伝えるべきであったと後悔します。
そして、妻子よりも自分のことばかり考えているのが原因で自分は虎になったと悟るのです。最後に袁傪に対してこの場所を帰路として使用しないでほしいとだけ残し、完全に虎になってしまいます。
山月記の本文は書籍で読めます。わかりやすい現代語訳版もあり、中島敦の世界観を存分に感じられるので、ぜひ読んでみてください。
author:執筆者:高橋渉
【200字~400字】「山月記」の感想文・口コミ
【感想・評判調査概要】
調査対象:本書を読んだ人
調査手法:インターネット回答
40代男性
本来のあらすじを考えると、李徴は反省していて、虎の姿から人間の姿に戻るというのが、定番のパターンだ。しかし、李徴は元に戻らなかった。そこが肝であると考えている。このことを考えると二つの理由がある。一つは本当は反省をしていないという理由、もう一つはそもそもこうなる運命だという理由だ。私は後者であると考えた。人は虎に見えないだけであって、李徴のような存在であるということだ。承認欲求、自己顕示欲が強い現代人ならよく分かるだろう。虎になっても、まだ詩を吟ずる李徴と同様に、現代人も人が傷つき、命を落としても、自己顕示のために攻撃をする。李徴となにが変わるのだろう、と考えてしまうのだ。それは、自分が弱いという内面を晒すのがいやだという李徴と同じ理由なのであるが、ならば弱い自分を受け止めたいものだと読んでいて考えた。
30代男性
自尊心と羞恥心というものがあるというのは、どうしてもプライドどいう側面においてプライドが邪魔をするので、落ちるところまで落ちてしまうと、ナルシストな人間でも、全力で保身に走るな、というのが実直な感想で自分としては共感できる部分はなかったです。自分にプライドというものが無いと言われるとそれまでなんですが、自己中でうぬぼれ屋の人なんて、今の時代珍しくもないですし、自滅している人を見るとプライドが高いうぬぼれている人に対して共感は持てなかったです。要は、生きていくのにそこまでプライドとかが重要なのかなというのが私の疑問で、芸術家の人でもプライドが低い人はいますのでどうなのかなという感じです。
山月記の主題・伝えたいことを考察
山月記を読んだ人に、この本が伝えたいことを考えてもらいました。
伝えたいこと①
一般的には、「人生なんてコントロールできるものではない」ということと、これは李徴だけのことではなくて、「尊大な羞恥心や臆病な自尊心に支配されているのが当然で、他人の目を気にして生きている」ものだということ、が作品の主題である。
伝えたいこと②
この作品は、羞恥心と運命を受け入れるという事実についてを伝えており、まずは運命を受け入れてしまうことが重要で、運命を受け入れることができないと破滅するという教訓を伝えています。そして、運命を受け入れるということを邪魔するのが羞恥心で羞恥心が強いと運命という物を受け入れることができず、他人からどう思われているかという点ばかりに気がいってしまうということを伝えています。結果、他人の目が気になるから高みを目指すが事実が追い付かないという事態が起きるがゆえ最後に待つのは破滅であると教えています。
山月記の名言・印象に残った一文
山月記を読んだ人に、名言や印象に残った言葉を聞きました。
- 「飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕すのだ。」
- 「共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為せいである。」
- 「虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮ほうこうしたかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。」
【テスト対策】山月記の李徴が虎になった理由は?
「飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕すのだ。」や「共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。」という言葉から、大切な周りの人間よりも、自分のことばかり考えているような人間だから虎になったといえます。
山月記の基本情報
作品の詳細 | 内容 |
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作品名 | 山月記 |
カテゴリー | 中編小説 |
著者 | 中島敦 |
発売日 | 2003年12月1日 |
ページ数 | 224 |
言語 | 日本語 |
ISBN-10 | 4101077010 |
ISBN-13 | 978-4101077017 |
いくつか現代語訳版もあって読みやすいです。
山月記の漫画版書籍
山月記は漫画版の書籍もあります。
山月記のあらすじ、ネタバレのよくある質問
山月記のよくある質問に回答します。
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