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少年の日の思い出のあらすじと感想をご紹介します。短いあらすじを知って興味を持ったらぜひ、書籍をお読みください。
サクッと簡単に内容の把握ができるので、読んだことがない人でもすぐ語れるようになります。会話の話題づくりや読書感想文、授業にもぜひお役立てください。
少年の日の思い出のあらすじ①
物語は、「わたし」を訪ねてきた「客」と幼年時代の思い出を語り合うところから始まります。わたしは幼い頃夢中になったちょう集めをはじめており、そのコレクションを見せようか、と聞きました。
客である彼が見せてほしいと言うのでお披露目したところ、どうやら彼も少年時代は熱心なちょうの収集家だったのだとか。ちょうを眺めていた彼は、突然何かを思い出したかのように不機嫌になります。自分の態度を取り繕うように、彼は少年時代に犯した罪について話し始めました。
ちょうに魅了され、まわりが心配するほど収集にのめり込んでいた少年時代の「彼」こと「僕」は、食事も疎かにして収集に出かける日々を送っていました。
最初のうちは仲間に自分のコレクションを見せていましたが、立派な道具を持たせてもらえず、ダンボールの箱を収集箱にしてた僕はそのうち一人でひっそりと楽しむようになります。みんなは立派な収集箱や飼育箱を持っていたのです。
ある時、みんなが驚くようなちょうを捕らえ、せめて隣に住む子どもにだけは見せようと思いたちます。その子どもは先生の息子で、非の打ち所がない模範的な少年でした。彼にちょうを見せると、専門家のように批評され、プライドが傷ついた僕は二度と彼にちょうを見せることはありませんでした。
ニ年ほど経ち、彼がとても珍しいちょうを捕らえたと聞いた僕は、彼の家を訪ねます。しかし、彼はいませんでした。どうしてもちょうが見たかった僕は勝手に収集箱をのぞいてしまうのです。あまりに素晴らしいちょうを見て、僕はある罪を犯します。
自分の犯した罪に苦しんだ僕は、彼に告白し謝罪しますが、彼はこう言うのです。「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」
少年の日の思い出のあらすじ②
少年の僕は八つか九つの時に蝶集めを始め、十歳では熱心な蝶集めの虜になりました。先生の息子で隣人のエーミールは非の打ちどころのない少年で、手入れの正確な一つの宝石のような収集を持っていました。
少年はエーミールを妬み、嘆賞しながら彼を憎んでいました。二年経って、エーミールが珍しい蝶のヤママユガをさなぎからかえしたという噂を聞きます。ぼくはどうしても見たくなり、エーミールの家を訪れましたが、彼は部屋にいません。
気の迷いか、ぼくはヤママユガを持ち出してしまいます。ぼくは思い直してエーミールの部屋にヤママユガを戻しますが、ポケットに入れていたヤママユガは壊れていました。ぼくは家に帰り、母親に全てを打ち明けます。
母親に諭されたぼくはエーミールに謝罪をしに行きますが、エーミールはヤママユガが誰かにだいなしにされてしまったと言います。二人でエーミールの部屋に行くと、壊れたヤママユガを繕うために努力した足跡が認められました。
ぼくはエーミールに自分の罪を打ち明けました。お詫びに自分の持っているおもちゃ全てをあげると告げましたが、エーミールには雑に扱って蝶を壊した奴だと軽蔑されてしまいます。ぼくは自宅に帰り、収集した蝶を一つ一つ取り出して指で粉々に押し潰しました。
少年の日の思い出の全文は書籍で読めます。ヘルマン・ヘッセの世界観を存分に感じられるので、ぜひ読んでみてください。
author:執筆者:高橋渉
「少年の日の思い出」の感想文・口コミ
【感想・評判調査概要】
調査対象:本書を読んだ人
調査手法:インターネット回答
30代女性
中学生の教科書に長い間掲載されている、ドイツ文学作家ヘルマン・ヘッセの短編小説、『少年の日の思い出』。内容は覚えていなくても、作中に出てくる、「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」という印象的なセリフは覚えている、という人は少なくないのではないでしょうか。少年時代の妬みやひがみ、劣等感。それらを抑えきれずに犯した罪。過去を語る形で綴られていますが、語り口からして、その出来事がどんなに深い傷を作ったかということがうかがえます。ある種のトラウマともいえるでしょう。しかし、自分の未熟さを恥じ、犯した罪を悔い改める様子は見受けられません。少年時代の未熟さ故というより、本人の性質としてまさに「そんなやつだった」のだと思います。それを認められない少年時代の思い出は、誰もが持っているのかも知れません。
30代女性
自分の子供の頃を思い出しました。幼い未熟な精神が引き起こした悪いこと。大人になった今になって思い出しても恥ずかしく情けない思い出たち。どんな人にでもあることだと思います。普段は思い出さないか、忘れてしまっているそんな記憶。蝶の標本を見たことで思い出してしまった、過去の恥ずかしい行いを友人に吐露する客。少年の日の思い出として語られる苦い思い出のお話でした。一度壊れてしまえば元には戻せないからこそ、今あるものを大切に扱っていきたいです。
「少年の日の思い出」で伝えたいこと・主題
少年の日の思い出を読んだ人に、作者が伝えたいことを考えてもらいました。
伝えたいこと①
一度犯した罪は、理由があろうと必ずしも許されるものではないということが伝わります。信頼を損なうということ、自尊心を傷つけられるということ、自分を見損なうということがどれだけ辛いか。妬みやひがみという感情がどれだけ歪みを生じさせるか。
少年時代の思い出は、明るいものも暗いものも、すべてが鮮やかで色あせないものであるというメッセージも感じられました。
伝えたいこと②
一度起きたことは、もう償いができないもの。壊れたものは元には戻せないし、それによって失った信用は戻らない。少年の未熟な精神が起こした出来事が、成長して大人になってからも恥ずかしい思い出として記憶に残り、後悔し続けてしまいます。
エーミールの名言を考察
エーミールの名言「そうか、そうか、つまりきみはそんなやつなんだな。」を考察します。
冷静で大人な対応にも見受けられますが、これ以上ない侮蔑をあらわしたセリフだと感じます。静かな怒りにありったけの軽蔑を込めて、絶対に許さないという気持ちから出た言葉でしょう。
圧倒的に正しいという立場から、「僕」は「そんなやつ」であるというレッテルを貼ることで、「僕」を否定しているのだと思います。
また、エーミールは非の打ちどころがない模倣少年だったので、自分の留守中に家に勝手に上がり込み、珍しいヤママユガを壊して台なしにしてしまった少年に対して、モラルがない乱暴な行いをする人間と判断して軽蔑しています。
トラウマになった?「僕」がラストシーンで蝶をつぶした理由
母親に諭されてエーミールに謝罪に行ったけれど、少年は蝶を雑に扱って壊すような人間だと断じられたことが悔しくて悲しい気持ちになり、受け取って貰えなかった謝罪の気持ちとやり場のない怒りから蝶を潰してしまったと考えられます。
「客」である「僕」の犯した罪は許されませんでした。許されなかったというより、その罪により「僕」そのものが変えられてしまったような印象があります。本人の自認に関わらず、まさに「そんなやつ」だと認められてしまったのです。
「そんなやつ」にちょうの収集を続ける資格は無い。大切なちょうを潰したのは、「そんなやつ」であるというレッテルを受け入れたからなのか。もしくは、自分の罪自体を消すためなのか。どちらとも考えられると思います。
「僕」のその後
少年時代の過去を語る形で綴られていますが、当時の出来事がトラウマになっている様子がうかがえます。また、自分の未熟さを恥じ、犯した罪を悔い改める様子は見受けられません。少年時代の未熟さ故というより、本人の性質としてまさに「そんなやつだった」のだと思います。
少年の日の「私」の正体は?
「客」が主体となる物語であり、「わたし」については情報が少なく、謎な人物です。とはいえ、遅い時間に書斎で語り合う程度には「客」である「僕」と「わたし」は親しい間柄であることが窺えます。
現在の友人だろうか、くらいの予想しかたてられませんが、なんとなく、「わたし」は「エーミール」と似た部類の、模範的な人間なのではないかと感じました。
「少年の日の思い出」の基本情報
作品の詳細 | 内容 |
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作品名 | 少年の日の思い出 |
カテゴリー | 青春小説 |
著者 | ヘルマン・ヘッセ |
発売日 | 1931年 |
ページ数 | 218 |
言語 | 日本語 |
ISBN-10 | 4794221835 |
ISBN-13 | 978-4794221834 |
本の他に、中1国語の授業解説動画や朗読動画などがYouTubeでみれます。
少年の日の思い出のあらすじ、ネタバレのよくある質問
少年の日の思い出のよくある質問に回答します。
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